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由緒・沿革
新福寺は、いわゆる「神仏習合」の寺院である。
今も旧小林町民によって継承されている「日待(ひまち)」・「おこない」等の神仏混淆の行事、鎮守の森の中には南入り口に南門(昭和南海地震で倒壊し、再建されていない。)、北に寺の本堂が、また、西入口には鳥居、東に杵築神社が配置されている。
これらの事象から、本寺は古代或いは中世のある時期まで創建年がさかのぼるものと推測されている。
<以下、昭和19年2月28日付奈良県知事宛届け出承認文書による>
白鳳年中、役小角開基の地にして、承和嘉祥の日に当たり密學の研徳眞雅僧正巡錫の機縁を以て、真言宣布の道場に結界せられたる霊場なり。
中世以降南都興福寺衆徒の占拠に委ねたるも、小林春賀・小林孫左衛門等之を横領して、大和大納言秀長卿の郡山城入部の時に及ぶ。次いで元和年中、片桐氏の隣邑小泉に治封を請けたるや、同家武運長遠の祈願所とし、其の帰依殊に篤く、以て明治維新に至る。
寺域消長の沿革は詳かにせずと雖も、村社杵築神社の午頭天王社と称し、伽藍鎮守と集合したるは社僧兼帯の事例に瞭らか也。
<判明している本寺の歴史>
元禄9(1696)年 | 本堂落慶 (庫材を駆使した形跡、現存する仏像の古さから再建されたものと推測) |
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昭和21(1946)年 | 昭和南海地震により、南門倒壊 |
昭和43(1968)年 | 本堂屋根瓦葺き替え等の改修 (この時の棟札発見から、本堂建立の時期が判明) |
昭和53(1978)年 | 庫裡(住職・家族の居住所)新築 |
平成7(1995)年 | 阪神大震災により、屋根瓦一部補修 |
平成27(2015)年 | 信徒会館「愛染」落成(新設)、寺院車庫兼駐車場新設(5台分収納) |
平成28(2016)年 | 本堂落慶(320年振り)・同年10月29日落慶法要と記念式典挙行 弘法大使修行立像設置(本堂外東) |